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リュウブログ

このブログは僕の人生(18年間)で得た知識や経験を書き留めた場所です。

28 5月

幼少期3 引っ越しと新しい家族

幼少期2からの続きです。
読んでいない場合は幼少期2から読まれることを推奨します。


前回の襲撃イベントが終わり。
元々は祖父母と僕で暮らしていたアパートに新たに三人が加わりました。
それにより登場する人数が増えたので、名前を付けました。

もちろんですが
実際の名前を載せるわけにはいかないので、

女、後に僕の義母になる人/陽菜(ひな)
少年、後の兄/柚希(ゆずき)
赤ん坊、後の妹/麻衣(まい)

実の父、進(すすむ)
僕、リュウ

とさせてもらいます。



彼女らが加わった数日後、父(すすむ)は店の経営があるために
帰らなくてはいけません。

僕は何故だかわかりませんが
父とこの女の人は仲が良かったのを覚えています。
恐らくは家に帰ってくるまでに、何かがあったんだろうと思います。


当時の僕は知らない人に対しては、非常に憶病で、
話しかけることなんて出来ない子供でした。

なので

彼女らが家にいる間も祖父と一緒の場所にいて、
関わらないようにしていました。

祖母は彼女らのことを口では表立って言っていませんでしたが、
良くは思っていなかったらしく
父が僕を連れて彼女らと一緒に四人で暮らそうと提案しても。
初めは拒否していました。

ですが僕の父は一度決めたら曲げることはしない人間で、
尚且つ強情で余り後のことを考えない人でした。

なので最後は祖母が折れてしまいました。

祖母は子供は親と暮らしたほうがいいだろうと
少なからず考えていたらしく、
というかおそらく僕が父と別れるとき、
涙をこらえてることに築いていたんだと思います。

そんなこんなで僕
確かこの時は小学校一年生かそこらの子供は
親のように感じていた祖父母から
離れ離れになることが決定してしまいました

父の店は数十キロ先で一度行ったら僕の足では帰ることが出来ません
それに、これから家族になる人たちのことを
僕は知りません。

とても不安でした

実の父のことすらほとんど知らない
そんな少年でした。

ついにその時が来たとき、
僕が新しい家族と車に乗り、家を出るとき
幼稚園からの友達が僕のことを見送りに来てくれました。
(この子との話はまたどこかで書きます)
すごく悲しかった。

だけど泣きませんでした。

車の中は僕にとって他人の家と同意義でとても居心地が悪く
それどころじゃなかったからです。

次回に続く




27 5月

幼少期2 誹謗中傷について私が思うところ。

前回の続き

更新が遅れてしまい申し訳ありません

そんな日々を祖父母と過ごしていたある日。
父が女の人と子供二人を連れて家に帰ってきました。

それも急にです。

祖父母は聞いていたみたいですが私は知らされていませんでした。

なのでリュウ少年はおばあちゃん子も相まってか

祖母の後ろに隠れて様子を見ていました。

祖母が言うには彼女らはつい最近、離婚をして家を追いだされてしまった。

住むところがなく、途方に暮れていたところ、父の店があり入店。

事情を知った父は、放っておくことが出来ず。

かといって店には子供が住める環境がないため、

家に連れてきた。ということみたいです。

初めに言ってしまいますが、後にこの女の人
彼女と父は結婚します
なぜそうなるのかは、私にもわかりません。

ただこの日から、僕にとっての平穏が少しずつ終わり始めました。


追記

最近ネットやテレビついは誹謗中傷についての話題で
ひっきりなしですね。

私は最近になってブログやTwitterなどを本格的に始めたので
誹謗中傷とはほとんど縁がない状態でした。

ですがこれらの誹謗中傷は今まさに始まったわけではなく
何年も前から存在していたものです。

それが今になって。

木村花さんが亡くなられてやっと。

国が動き始めました。

私が知らないだけで恐らくは、過去に誹謗中傷により
この世を去ってしまった方が。
あるいは心を病んでしまった方が多くいたと考えます。

もしこれが木村さんのような有名な方ではない人。
一般の人が自殺などをした場合はここまでテレビは報道しないだろうし。
snsもここまで燃えることはないだろうなとおもいました。
そして国が動くこともない。

今snsでは、誹謗中傷に対して誹謗中傷を返す。
際限のないカオスな状況になってしまっています。

もちろんそれは、悪意からくるものではなく。
正義感からくるものだと信じたいですが。

このままだとその正義感が第二の木村花さんを生み出してしまいそうで
私は少し怖いです。

どうかSNSを利用する時は冷静になって
スマホの向こう側にいる相手のことが考えられるような状態になってから
投稿するように気をつけてください。
私も肝に銘じてそれらのツールを使用して行きます。

最後に

木村花さんのご冥福をお祈りします。
せめて天国では楽しく、健やかにお過ごしください。




20 5月

幼少期_1



今回からは僕の幼少期の頃の話をしていきたいと思います。
たいして面白い話でもないですが、暇つぶし程度に見ていただけたら幸いです。


僕(3~6歳)は愛知県の岡崎に父方の祖父母と住んでいました。

当時の僕は外に出て遊ぶのが好きで

夏は近くの公園に祖父と一緒に虫網と大きな虫かごを携えて行って

大量のミンミンゼミとクマゼミを捕まえたり、

たまにいるツクツクボウシが捕まえられたら大喜びしたり、

市民プールに行って祖父が泳いでいる最中に背中に乗って

僕を乗せたまま泳いだり、

(祖父は水泳が得意で子供一人乗っても余裕綽々でした)

冬は遊園地に行ってゴーカートやアトラクションに乗ったりしました。


思い出すと楽しい思い出がたくさんあって
執筆している今、ノスタルジックになってしみじみ思います。


こんな日々を送る中、月に一回か二回か父が家に帰ってきます。

父は僕が3歳の時に僕を祖父母に預け、都会で飲食店を経営していました。

なので正直僕は父のことなど覚えておらず

しかも顔が結構怖いし体格もでかいので会うときは
いつもビクビクしていましたw

それでも父が店に帰るとき、

それを見送るときに僕は何故だか目頭が熱くなり

それを歯を食いしばって耐えていたのを思い出します。

覚えていなくてもこの人が父だとわかっていたんだと思います。


今回はとりあえずここまでにします。

前回の記事にコメントしてくださった方ありがとうございます。
まさか僕が執筆した記事を読んで、
コメントしてくださる方がいるといると思いませんでしたので、
スマホに通知が来たときに手が震えました。
本当にありがとうございます。






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